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フォロワーの相続が行われるケースはあるのか

ネット社会と「死」。ツイッターのフォロワーは遺産相続の対象になるか(Hayato Ikeda) - BLOGOS(ブロゴス)

 

この話題、「こいつ、ただの置物だぞ!」とtwitter界を初めて騒然とさせた去年のイベント(あずまん、イエイリ、尊師の鼎談イベント)で話のテーマになっていたと思うのだけど。1年も前のネタをこのタイミングで引っ張ってくるとはよほど書くネタがなかった思うところがあったんでしょうね。

 

彼は文章中、

フォロワーなりブログ読者、名前が持つ影響度という資産は、自分以外の人物に引き継いでもらえるようにも思えます。ぼくのアカウントを娘が引き継いで、そのまま情報発信を続けたとしても、案外読者は離れないんじゃないだろうか。もちろん発信する内容にもよりますが。

 と書いてますが、僕はそう思いません。というのも、まったく相続することでメリットが見いだせないから。

そもそもtwitter上のソーシャルグラフ(というのもちょっと恥ずかしいが…)を考えたときに、自分のプライベートのつながりをそのまま家族が受け継げるか、というのは非常に難しいと思います。親が友達付き合いしていた人たちがそのまま子供やパートナーと同じ付き合いができるかというと、そんなことは難しいんじゃないかなあ、と。

 

じゃあフォロワーを引き継ぐことでメリットがある場合はあるのか、というと、おそらくありうるケースとしては事業や思想を受け継ぐ場合、つまりとあるアカウントのソーシャルグラフがある種の運命共同体として機能している場合にメリットが見いだせると思ってます。

仮に、ネット選挙の仕組みが今後非常に洗練されたとして、政治家が自分の子供に世襲させるとき、地盤としてtwitterが機能していればフォロワーを受け継ぐだけの価値があるんじゃないかと思います。あとは○代目ナントカ、みたいに歌舞伎や落語で名前を襲名するときくらいじゃないですかね。もっともこれは中の人次第になると思いますけど。

 

とりあえず自分の場合はもし引き継いでくれるような親族、知人がいたとしてもお断りです。自分の過去のツイートや考えを全部みられちゃうと、黄泉の世界で枕に顔をうずめて足をジタバタすることになりそうなので。過去のつぶやきを見てもらって、「あいついいヤツだったなあ」としみじみしてもらえれば十分です。

 

千の風になって

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