おいしいリゾットをひたすらアップするブログ

思いつくまま適当に書き散らしてます

#11 埼玉

首都圏に入って埼玉、である。

思えば初めて埼玉に足を踏み入れたのはさいたまスーパーアリーナにライブを見に行き、なぜかその日は帰らずに大宮に出て夜中さんざんさまよい歩き、空いてるホテルも見つからず結局漫画喫茶で一晩過ごして翌日帰ったことが記憶として今も残っている。

それから仕事でもプライベートでも足を踏み入れる機会はそこそこあったのだけど、結局のところ埼玉をまだ全然理解できていない。埼玉のいいところはどこなのか、埼玉のダメなところはどこなのか、さいたま市のような都会エリアから秩父のような自然の豊富なところまで、自在にその姿を変える埼玉に魅了されることもなく、さりとてめんどくさいとも思わず、結局幾度となく足を踏み入れる場所となっている。

なにげにうどん消費量も多い埼玉県には、これからも山田うどんソウルフードとしてぜひアクティビティを提供してほしいと切に思う。

 

 

 

#10 茨城

北関東3県のうち、最後の話となる茨城県だが、茨城は47都道府県のうち、最後に足を踏み入れた県となる。

微妙に近いとなかなかいかない、というのは割とある話ではあるけれど、初めて茨城県に行ったのは5年前、残り1県となった茨城になかなか行く機会がなかったところに、無理やり行く気力を奮い立たせておもむろに東京駅から水戸行きの高速バスに飛び乗って偕楽園の梅を見に行った。

まだ3月の半ばにもならない頃の、まだまだ寒さが残るなか、常磐道に抜ける首都高が混雑していてなかなか渋滞を抜けないなと思いながら窓の外を眺めていた気がする。予定より少し遅れて水戸駅に着き、降り立ったときに「これで47都道府県すべてに足を運んだことになるのか」と少しだけ感慨深い気持ちになりつつ、水戸の駅から偕楽園に向かって歩いていた。もう少し華々しい気持ちにしてもよかったのだけど、あまり天気も良くなかったことからそれほど気持ちも盛り上がりきらなかったのを覚えている。

次に茨城県を訪れることになったのは4年後、つまり去年のこと。所用で大洗に行く用事ができ、あんこう鍋でも食べようかと思っていたら店が観光客でごった返しており、結局海の近くの市場的なところでお椀一杯の汁を、身を探しながら飲んだだけとなった。まだまだアニメの聖地巡礼効果が残っていた時期だったが、今はどうなっているのだろうか。

茨城については行ってみたい場所として筑波と鹿島神宮が残っているが、近いとなかなか行くことがないというセオリーに従うとなると、次に行くのはいつごろだろうか。

 

 

 

#9 群馬

群馬の思い出として残っているのは、きちんと訪れた街が高崎しか訪れたことがないこともあり、実質その一都市のみの思い出となるのだけれど、初めて新幹線で高崎に降りたとき、空が高い、という印象があったのを覚えている。いや、空が高いというよりも、高いビルがないために結果的に空が高く感じたのだろう。

市役所の展望台から高崎の街を見渡した時の平野の感じ、少し遠くに目をやるとある山々。地方都市としてのある種ノスタルジックな感じを存分なまでに堪能させてくれたことは言うまでもない。

その後、長野に下道を通って行った際、中山道から18号線に出て、碓氷峠を越えていくルートをとったことがある。難所として名高いと聞いていたこの峠を上っていくうちに暑い空気がどんどんと下がっていき、ひんやりとした空気に変わっていったときの気持ちよさは爽快感を味あわせてくれた。軽井沢が避暑地としてにぎわっている理由がこのとき実感できたといっても言い過ぎではないだろう。帰り道に食べた峠の釜めしのおいしさは格別だった。

ネット上で何かとネタにされている群馬。決して未開の地、というわけでもなく、古くからの町や温泉もあり、海に面していないことを除けば見るべきところも非常に多いと思っているのだけれど、北関東屈指の都市である宇都宮との対比をしてしまうと、どうしても街の発展具合に見劣りがしてしまうのは、そして未開の地としてネタにされてしまうのは仕方のないことなのかもしれない。埼玉から群馬に入った瞬間の空気感の変化がその気分をさらに増幅させてくれる。

群馬にはこれからもある種ノスタルジックな空気を出し続け、独自の道を歩んでいてほしいと思う。

 

 

#8 栃木

北関東3県については、ほぼ立ち寄った、レベルでしか訪れていないこともあり、それほど語る言葉は持っていないのが実情である。

栃木については宇都宮を3回ほど立ち寄ったのだけれど、すべて東北からの旅行帰りで、それも数時間だけ滞在してひたすら餃子を食べて帰る、というのをしただけである。したがって、自分の中では栃木=宇都宮=餃子でしか印象がないのだが、そのことについてお前はアホかと言われてもそれはそれでしょうがない。

宇都宮についての印象をまとめると、初めて降り立った時の都会っぷりに驚き、商店街を歩いた時の賑やかさからは、北関東の一番の都会は間違いなく宇都宮だろうなと思ったことである。おそらくは日光と、東北への要衝として発展したのであろう宇都宮に対して、まったくもって予想だにしていなかった街の素晴らしさに反省しきりだったというのが、初めて宇都宮を訪れたときの記憶として残っている。

栃木については日光を訪れるべきなのだろうと思っているが、関東に結構長いこと住んでいるのにもかかわらず、まだ一度も訪れる機会が来ていない。いつかいつかと思いつつ、結局行かないのが世の常であるのだけど、電車一本で行けるわけでもあるので、その機会を早く作らねばと思う。

 

Tokyo 餃子図鑑 (マイウェイムック)

Tokyo 餃子図鑑 (マイウェイムック)

 

 

#7 福島

福島を訪れたのはもう何年前だろうか。

当時まだ、JRの土日きっぷ(だったか3連休パスだったか)が新幹線も乗れるもので、それを使って新潟からローカル線で会津地方を訪れたのが福島初訪問だった。滞在したのは1泊だけだったが、宿泊地の喜多方にたどり着いたのはもうすっかり日が落ちた後だった。

喜多方ラーメンを食べに出かけたものの、道路は暗い、あまり店はやっていない、外は寒いと心細さで胸がいっぱいになりながら夜道を延々と歩き、喜多方ラーメンの店にたどりついて、暖かな一杯を食べた記憶が残っている。もはや店名も忘れてしまったが、しょうゆベースに縮れ面と、典型的な喜多方ラーメンだった。次の日の朝、ホテルで自転車を借りて町を走り回って蔵を見に出かけていたが、途中で雨が降り出して気温が一気に下がり、畑のど真ん中を走っていたため風よけもなく、全身を冷え切らせつつ必死に自転車をこいでいたのも今となってはいい思い出である。

喜多方の後は会津若松で城を見に行き、その姿のきれいさに感動をしたことも鮮明な記憶として残っている。城下町として観光客が多数訪れており、いい街だなと思っていたのもイメージとしては強い。

それ以来、福島を訪れる機会がやってこないうちにあの地震が起きてしまった。その地震で引き起こされた悲劇についてはことさらあえて言葉にするつもりはないけれど、今まだ通り抜けることができない太平洋側を、電車に乗ってゆっくりと通る日がくることを望んでいる。先日ニュースで全線開通させる、というのを目にしたけれど、全線開通、そしてその土地に再び、自由に歩き回る日が来ることを願ってやまない。